おみの人生 幼少期編~おみと母と祖母~

日常ブログ

【はじめに】これから書く内容は、私おみが幼少期の頃につらく感じた家庭環境の話です。幼少期は私という人間を形成する一つの要素であり、目を背けずにあらゆる視点に立って見つめ直さなければならない事だと思っています。少々表現がきつい場面や、読み進めるのが嫌になる部分等あるかと思いますが、あくまでもこれは過去の事であり、今は母や祖母との関係も良好な上でこのような文章を残すことをご了承ください。(母・祖母にはこのブログの存在は秘密なので、個人を特定されないよう最善の注意を払って書きます。個人の名称等も全て伏せます。)

私の幼少期、一番古い記憶は2歳の頃、祖母(姑)に手を引かれて母のお見舞いの為に病院へ通う所から始まります。母はこの頃、お腹に居る弟の経過が悪く入退院を繰り返していました。

おみ:「おばあちゃん、お菓子買って!」

祖母:「駄目だよ。おみは我慢を覚えた方がいいね。我慢は生きる上で一番大事な事。我慢ができない 人間はろくでもないんだよ。だから、我慢しなさい。」

おみ:「?」(この時は何を言われたのかきちんと理解できていない。自分が欲しいというタイミングでは何も買って貰えなかったことは強く印象に残っています。)

この頃は祖母の職場である病院に付属する幼稚園(祖母はかなり高齢まで看護師をしていました)に預けられていて、その幼稚園にはAちゃんという気の強いいじめっ子が居て、反して気の弱い私はいじめのターゲットでした。その事を母に訴えても祖母に訴えても「泣かされて悔しかったらAちゃんにやり返せ!」としか言われず、私の気持ちに寄り添われることはなく、大人は冷たいものだと刷り込まれていきました。

弟が生まれて母が退院しても、私の面倒を見るのは祖母が主でした。祖母の家は私の家の隣にあり、いつでも行き来ができる状態どころか、合鍵を祖母に握られている状態でした。

話は私が生まれる前に遡ります。母と父は友人の紹介で出会い、お互いに顔がタイプだった事もあり、すぐに交際に発展しました。そこから父の母(現在の姑)からの畳みかけが始まります。

祖母(姑):「うちの息子と結婚してくれたら、お前達の為に一軒家を建ててあげようか。」

祖母(姑):「土地が沢山余っているんだよ。結婚したら好きにしていいよ。」

これらの甘い言葉に騙されて農家の一人息子と結婚した母。(これから壮絶な人生を歩むとも知らずに…)

つづく…

【あとがき】過去の自分を見つめ直すために書き始めた記事ではありますが、思い出しながら書いていて身震いがします。怖い!今となってはコンプライアンス的にあり得ないようなことも沢山出てきます。怖い!!!!

では、また!

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